The法円坂vol.67 中村哲さんを偲ぶ

中村哲さんを偲ぶ

 弁護士 中島宏治

 

 2019年12月4日、アフガニスタン・ジャララバードにて、医師中村哲さんが何者かに襲撃されて亡くなられました。中村哲さんの国葬が行われ、中村哲さんの棺をアフガニスタン大統領が担ぐという映像が流れました。それほど、彼の貢献は凄まじかったのです。とてもこの紙面では語りつくせませんが、ご紹介したいと思います。

   中村哲さんは、1984年、パキスタン北西部ペシャワールの病院に着任しました。その後、隣国アフガニスタンからの難民が増加したことから、1989年にアフガニスタンに進出し、次々と診療所を開設していきます。

 大干ばつから生命を守るために水の確保が必要と考え、2000年に井戸を掘る事業、2002年より用水路づくりを開始しましす。2009年、マルワリード用水路が完成し、ガンベリ砂漠の農地開拓が始まりました。そこから、砂漠が農地へと変わっていく信じられないような光景が広がっていきます。農民と共に用水路を建設し、農地を復活させて生活の基盤を作ります。そうすると、人々の生活に平和が戻ります。そのような公共的な事業を、アフガニスタン政府に替わって続けてきたのが中村哲さんでした。

 アフガニスタンという国は、旧ソ連軍が侵攻、1988年に撤退した後、1996年にタリバン政権が樹立しますが、2001年に「9.11」が起こった後にアメリカから攻撃を受けます。最近でこそトランプ大統領とタリバンが和平交渉を進めていますが、その間にISの台頭もありました。このように、常に国際紛争に巻き込まれる中、ずっと継続して地元民のために貢献する活動を続けていました。

 そのような中村哲さんの半生を、大阪の弁護士有志が呼びかけ人として作った「大阪憲法ミュージカル」にて、2011年に上演しました。僕もアフガニスタン住民役でひげを生やして出演しました。中村哲さんの講演をみんなで聞きに行きました。飾らない人柄と強い信念が印象的でした。それから8年間、彼はずっと活動を続けており、その志半ばで銃弾に倒れてしまいました。

 このような日本人がいたことを多くの方に知っていただき、「武力で平和は守れない」という言葉を後世に伝えていきたいと思います。ご冥福をお祈りします。